No.02 2021/1/18更新
文:ナスニン
暗闇に、虹色の光がパッと浮かぶ。
難しい問題に悩む頭に、ひらめきが訪れた瞬間は、こんなイメージだろうか。
東京・杉並で昨年11月の土曜日に開かれた科学あそびの教室。
虹色の光は、明かりを消した部屋で、小学生21人がそれぞれのLEDライトを灯すと、円形になって現れたのだ。
「わー、きれい」と、驚きとも、感動ともつかぬ歓声があちらこちらから上がった。
実験の手ほどきをするのは、物理の一分野である放射線生物学の専門家で、立教大学名誉教授の檜枝光太郎さん(79)だ。
大学を退任後、「子どもたちの『わかる』を支えよう」と、地域で活動をする。
この日のテーマは、「虹を作ろう!」。
直径0・3ミリのガラスビースが塗られた黒い紙に、真上の一点から光を当てると、その光が反射して円形の虹が出来る。
檜枝さんの「わかる」というイメージと、この暗闇に灯る光とが重なる。
この教室では、子どもたちが庭に出て、太陽を背に、霧吹きから細かな水滴を噴射することもした。
すると、太陽光を反射して、虹が観測できる。
このような6つの実験を、子どもたちは「面白い」「すごい」といった声をあげながら、次々と取り組んだ。
虹の実験を通して、光がまっすぐ進むこと、水と空気などの境目では屈折したり、反射したりすることを、体験した。
杉並で子どもたちに科学あそびを提供する「KSCCサイエンスくらぶ」が年に約20回、開催するうち、檜枝さんは2回担当する。
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檜枝さんが研究の道に入ったのは、理学部物理学科の大学3年生のとき、「わかる」ことの面白さを知ったからだった。
子どものころから、理数系の科目が得意で、それほど努力せずに進んできた。
当時、物理学を専攻する学生に定評だったジョン・スレイターとナサニエル・フランクの『力学』と『電磁気学』にある問題を夢中になって解いた。
解答が書かれていなかったため、本気になって正解を導いた。
紙の上に数式を書く。
計算のため手を動かし、四苦八苦しながら、答えにたどり着いた。
その時、「わかった」と納得できた。
「とても快感だった」。
「わかる」という経験は、人生の転機になった。
物理は面白いと感じたことで、大学院に進学することを決めた。
数式を解く理論物理学、特に量子力学に憧れを持った。
だが、「新しいことを発見して、付け加えることは、私の能力では難しい」ことも悟った。
大学から大学院生だった1960年代、花形だった原子物理学を選択、実験の世界へと歩みを進めた。
研究者としての取り組みは、単色X線による原子の狙い撃ちや、炭素線など重粒子が生物に影響するか影響するとしたらどのようなものか、といった基礎研究が大きなものだった。
単色X線をDNAに当てると、2重螺旋(らせん)の鎖が切れることがある。
その影響を調べるために、装置を共同で開発して、実験に臨んだ。
当時、「世界一の設備」と言われた、高エネルギー加速器研究機構(茨城・つくば)の放射光実験施設で、単色X線を細胞内にあるDNAのリン原子を狙い撃ちする実験を繰り返した。
予期せぬ大きな変化も予想されたが、結果は「特別なことは起こらなかった」。
この先は、行き止まりだよ、と信号を灯らせた形だ。
起こらないことが、「わかる」ことで、科学は一歩、前進したとも考えられる。
「わかる」は、進んできた向きを変える機会でもあるのだ。
広がりと深さがある見方を、育み、持ち合わせていないと、このような「わかる」ことの意味は生かせない。
ここに、檜枝さんの生き方が透けて見える。
2014年に大学関係の職を退くと、以前から考えていた地域活動へと歩みだすことにした。
「子どもたちを励まし、長い人生を生きていく基礎づくりの役に立ちたい」。
そんな思いが強かった。
住まいがある杉並区で開かれた地域活動を学ぶ集まりで、「科学読物研究会」運営委員の原田佐和子さん(65)と出会った。
原田さんは、20年以上、科学あそびを子どもたちに提供していた。
檜枝さんにとっては、自らの思いを具体的な形にしている、灯火のような存在だった。
「師匠」。
原田さんを、檜枝さんは、こう呼ぶ。
こうして、原田さんが長年講師を務める、冒頭の「KSCCサイエンスくらぶ」の活動に、檜枝さんが加わることになった。
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「わかる」を研究生活で突き詰めてきた檜枝さんの科学あそびには、特徴があるという。
原田さんは、どちらかというと「あそび」を重視してきた。
ところが、檜枝さんは「子どもたちの興味が広がっていくように、順序立てて説明している」と、原田さんは感じている。
虹を作る実験でも、光がまっすぐに進むこと、屈折や反射することを、実験に織り込む。
檜枝さんに、自身の教え方の特徴を問うと、「特別なことはないですよ」。
だが、物理をどう勉強するかといった話になったとき、「力学、電磁気学、熱力学・・・・・・と積み上げ型の学問体系。段階をおっていかないと先に進めないのです」と教えてくれた。
「全体像を示したいのじゃないかしら。ご本人に染み付いているから、ご自身では特徴をとらえられないのでは」と原田さん。
子どもたちは、面白い実験を断続的におこなっている、としか理解できないこともある。
しかし、中学、高校と知識が増えるに従って、「小学生のころの実験は『ああ、こういうことだったのか』と、意味がつながるのではないか」と語る。
「世界を示す人」というのが、原田さんの檜枝さん評だ。
檜枝さんは、親しみを込めて、子どもたちから「ひえじぃ〜」と呼ばれる。
地域活動学習の集まりで、母親とともに参加していた中学2年生の女生徒から、付けてもらった愛称だ。
そんな慕われ方が、地域に広がっている。
地域活動学習の集まりが縁で、杉並区立杉並第六小学校の守田聰美校長から声がかかり、放課後、ボランティアで児童に算数を教える。
「880÷50」という筆算の問題に、児童と向き合う。
解こうとしても、ペンが進まない児童に、「『88÷5』は、どうなる」と問いかける。
すると、小さな手が動き、計算をはじめた。
「88の中に5がいくつあるかと、880の中に50がいくつあるかは、0が増えただけで、変わらないよ」とアドバイスする。
答えが出ると、「合っているよ」と褒める。
児童は、うれしそうな表情を浮かべた。
その顔を見て、檜枝さんも笑顔になり、2人で喜びあった。
「自分の頭で、解くことが大事。考えることを身につけると、一生使えるよ」と言い添えた。
檜枝さんは、先生は教室で35人の児童を見ているので、一人ひとりの理解度にともなって細かく手をかけることは不可能と指摘する。
「私のような地域のシニアが教える場があると、学校教育を支え、貢献することができる。『わかる』が子どもたち一人ひとりのものになる」と話す。
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檜枝さんが杉並の小学校に入学したのは、終戦から4年後の1949年。
教室が不足して、学年ごとに午前と午後に分かれる「2部授業」だった。
その年、畑だったところに、中学の新校舎が建った。
戦後の復興期だった。
中学校に入学後、日本は高度経済成長期を迎える。
自宅周辺は、住宅街へと変わり、白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫といった家電が「三種の神器」になぞらえられて家庭に普及。
暮らしは、見違えるように豊かになった。
「右肩上がりの豊かな世界へと様変わりしていく日本に、明るい未来しか描けなかった」と、檜枝さんはふり返る。
一方、今の日本は、経済成長が横ばい状態。
「明るい未来を描きにくい。子どもたちには、そんな世の中を打ち破ってほしい。そのために、子どもたちの『わかる』を支え、背中を後押ししたい」
心理学者の佐伯胖(ゆたか)・東京大学名誉教授は、著書『「わかる」ということの意味』(岩波書店)のなかで、学ぶことは「私たちが生涯つづけて行う、最も人間的な営み」と述べる。
そして、「『わかる』ということは、結局は文化的実践に参加することなのです」と、その知的活動の実行と普及を促す。
檜枝さんは、専門ではなかった生物学や地学の勉強を、大学時代の友人と月2回、オンラインで重ねる。
自らも「わかる」世界を広げている。
科学あそびを一緒に提供する原田さんは、その前向きさに驚き、ひと言漏らした。
「物理に、他の分野が加わって、“ニューひえじぃ〜”が誕生するかも知れない」と。
■ひえじぃ〜が子どもたちへメッセージ
■檜枝さんがお薦めの本とホームページ
『かがく縁日と本読み隊』(チームMs.さいえんす・著、東京書籍)
『理科読をはじめよう 子どものふしぎ心を育てる12のカギ』(滝川洋二・編、岩波書店)
かがく絵本として、『かがくのとも(5〜6歳)』『たくさんのふしぎ(小学校3年生以上)』(いずれも福音書店)
ホームページ『科学道100冊 ジュニア』 https://kagakudo100.jp/lineup/list-jr
このホームページは、「『知りたい!』気持ちから未来をひらく科学者たちの見方・生き方・考え方まで、子どもたちに知ってほしい科学の世界を6つのステージで取り出して100冊の本とともに案内している」。
執筆者
ナスニン
歴史、文学、哲学、社会問題、政治、企業活動、経営、福祉、脳科学、心理学、医学・医療と幅広い分野の執筆活動を続ける。
最近は、地域活動、地域コミュニケーションにも関心を持つ。